・もはや戦後ではない
1956年(昭和31年)7月17日
「もはや戦後ではない」と政府が経済白書で宣言しました。この前年の1955年、終戦から10年目にしてGDP(国内総生産)が戦前の水準を上回ったのです。日本が戦後復興期から高度成長期へと歩を進める節目の年でした。朝鮮戦争による特需を原動力として、神武景気と言われました。
1950年に勃発した朝鮮戦争によって朝鮮半島に出兵した米軍への補給物資の支援、戦車や戦闘機の修理請負などの特需(朝鮮特需)によって輸出や貿易外受取が増加した事、商品市況が大幅に上昇したことによってもたらされ、この好景気によって日本経済が第二次世界大戦前の水準を回復した。
今迄で無かったような好景気に沸き、1954年12月に日本は国際連合に加盟。国連本部に日の丸が掲げられ、国際社会へ復帰を果たしました。庶民には高嶺の花でしたが、冷蔵庫、洗濯機、白黒テレビが登場し、大量消費社会が幕開けしたのもこの頃です。経済白書では、「もはや戦後ではない」の後、「世界技術革新の波に乗って『日本の新しい国造り』に出発することが必要ではないだろうか」と呼び掛けています。当時の日本人の意欲が伝わってくる名文です。
・高度成長
高度経済成長時代の好景気の通称である。高度成長とは、飛躍的に経済規模が継続して拡大することである。日本においては、実質経済成長率が年平均で10%前後を記録した1955年頃から1973年(昭和48年)頃までを高度経済成長期と呼ばれてる、約19年間である、この間には「神武景気」や「岩戸景気」、「オリンピック景気」、「いざなぎ景気」、「列島改造ブーム」と呼ばれる好景気が立て続けに発生した。
エネルギーは石炭から石油に変わり、太平洋沿岸にはコンビナートが立ち並んだ。戦後解体された財閥が、株式を持ち合いながら銀行を事実上の核とする形態で再生し、旧財閥系企業が立ち直ったのもこのころだと言われる。
この経済成長の要因は、高い教育水準を背景に金の卵と呼ばれた良質で安い労働力、第二次世界大戦前より軍需生産のために官民一体となり発達した技術力、余剰農業労働力や炭鉱離職者の活用、高い貯蓄率(投資の源泉)、輸出に有利な円安相場(固定相場制1ドル=360円)、消費意欲の拡大、安価な石油、安定した投資資金を融通する間接金融の護送船団方式、管理されたケインズ経済政策としての所得倍増計画、政府の設備投資促進策による工業用地などの造成が挙げられる。 また、戦後首相の座についた吉田茂が行った、『憲法9条の下で本格的な再軍備を慎重に避けながら、日米安全保障条約に日本の安全を委ねることで、自国の経済成長を優先させる方針』についても、上記の要因の一つとして考えられる。
・吉田路線
政治的には吉田首相路線たる、要となる軍事・安全保障の主舞台から、戦後日本が退いた事に寄って、アメリカとの同盟関係を基本とし、それによって日本の安全を保障され、そのことによって日本自身の防衛費は低く抑えらる、そのようにして得られた余力を経済活動に充て通商国家としての日本の発展に繋がった、国際的な権力政治の舞台から降りた事で新たな国家目標となり今日の追求と実現が国民に一体感をもたらすことになった[軽武装・経済重視]の路線を、吉田首相の政治的リアリズムである、吉田首相退陣時、色々な批判はあったが、吉田茂没後に再評価される、葬儀も国葬で行われた。
・1980年代後半のバブルの違和感
地価や株価がどんどん上がり、ゴルフ場の開発で億万長者が続々と誕生する、しかし、真面目に,働いても、住宅はとても買えない、そして、通勤距離はどんどん遠くなる、海外では、ホテルやショッピングセンターを日本企業が買いあさる。ついにはニューヨークのロックフェラーセンターやカリフォルニアの名門コースを日本企業が買う。あり得ないはずだが実際に起こった。
戦後復興期や高度成長期、そして石油ショックの時代には、けして感じ無かった、高度成長においては、日本は「奇跡」と言われた程の目覚ましい発展を遂げました。 一般には、戦後の民主主義改革が経済の復興をもたらし、戦後に誕生した新しい企業が高度成長を実現したとしています。それに対して1940年体制疾患では時期に作られた国家総動員体制が戦後経済の復興をもたらし、戦時期に成長した企業が高度成長を実現したと考えます、40年体制はその後の石油ショックの対応においても重要な役割を果たしました。この2つの歴史観は日本の歴史がどこで断絶しているかと言う判断において大きく異なります。一般には1945年8月期点において、日本の政治・経済・社会体制に大きな断絶があったとされています。それに対して1940年体制史観ではここには断絶はなく、本当の断絶は40年頃にあったと見ているのです。40年体制の史観と言う目で眺めれば80年代のバブルとは日本経済が40年年体制を必要としなくなったにもかかわらず、その体制が生き残りを図ろうとしたことから生じた事件です。また40年制史観からすれば、経済政策において安倍晋三内閣が行おうとしているのは、戦後レジームからの脱却ではありません。全く逆に戦時・戦後体制への復帰です。その基本的な方向は、市場の働きを否定し、経済活動に対する国家の関与を強めようとするものです。これは40年体制の考え方そのものです。
・賃金上昇の停滞
非正規労働者の増加が最大の要因1985年日本は先進国と協議してドル高を是正する「プラザ合意」を機に円高が急伸、その後バブル崩壊で不況に陥っ た、円高で賃金が上がったら企業が保たない、緊急避難の意図で1995年経団連が新時代の日本的経営を提言、雇用柔軟型を設定、企業が非正規を増やし人件費を抑える為の方向性を示した。公表後1995年は非正規は1千1万人雇用者の20.9%だったが2022年2千百1万人に36.9%に同期間に正規は百9十1万人減り、非正規は千百万人増と倍増した。
今まで正規の給料はほぼ横ばいだが企業は非正規を増やして全体の平均賃金としては下がった。
2021年実績で見ると非正規賃金は正規賃金よりも三割以上低い。
景気が好転すれば経営者が非正規を正規として雇用する(復元)が起こる思っていが、しかし経営者は2008年リーマンショック後に生き残る事しか考えなくなった、2013年のアベノミクスの金融緩和などで利益が増えても復元しようとはしなかった。
・異次元金融緩和
賃金が上昇せずに、物価だけが上することは普通起こらない、黒田日銀総裁。緩和開始から約1年後の2014年3月
2015年以降も物価が緩やかに上るだけで、事質賃金の下落の傾向が止まらず、ロシアのウクライナ侵攻などに伴う物価高で賃金水準が一段と下がった、物価が上がれば賃金が上がるとの狙いは、実はもう1年で破綻していた。
異次元緩和は、[日本停滞の原因は緩和不足と言う]一部専門家の考えを野党時代の安倍晋三氏が取り入れ、首相就任後に黒田氏を日銀総裁に任命して始まった異次元金融緩和です。 当時から、緩和でなく賃上げの不足が停滞の原因と主張していた大学の教授は、企業の活力を生み出す成長戦略など地道に賃金を上げるしかない、として黒田日銀の緩和策を的外れの政策だったと総括した。
政府が賃上を企業に要請する政府指導も賃上げマインドを高めると思いますが、各企業での労使協議での力関係で賃上げが実現するか、企業の支払い能力等の問題はあるが労働者の組織力が問われると思います。